田中りんのメルマガです。
すっかり秋ですね〜。栗ご飯2回も炊いてしまいました。美味しいです。これに、秋刀魚の塩焼き、味噌汁、があれば言うことなしです。
今日は、目の前の状況を見ると納得いかないけれど、自分には、はまだまだ伸びしろありますよ!という話です。
さて、相手との人間関係、皆さんお困りの様子です。
部下が仕事しなさすぎて困ってる。友達に急にキレられた。親の依存が半端ない、などなど。
いろいろ、困りますね。「ちょっとぉ!」と言う気持ちは十分わかります。
相手は完全にあなたに甘えている、依存してますね。ピンときますか?どこが甘えてんねん!!って思うかな?
何も言わなくても仕事しない状態を許してくれている、気持ちを察してくれたらこっちの気持ちを言わなくてもわかってくれる、自分でやるべき事をやらずにイヤなことは処理しといてくれ、でも自分では動きません、と言ったとこでしょうか。
相手を思いやることはできますが、相手の望んだ通りの対応なんてできません。それをすり合わせるのがコミュニケーションですね。困らずにやる気満々でそれらに対応できるのであればやっていいと思いいます。感情が乱れないのであれば。
もしも、「お、おいっ!」ってイラッとしたならばちゃんと自分の気持ちをいったん受け止める必要がありますね。そして必要ならば、私はこう思う、あなたはこう思うのね、ってお互いの思いをちゃんと出し合う。これが本来のコミュニケーションです。察しあう事だけでは、腹の探り合いとコントロールになってしまいます。
まあ、ちゃぶ台挟んで、自分の好物の料理を出し合う感じですよ。その食卓が楽しくなるように。
あの人は辛いの苦手やから、甘めの味付けのかぼちゃの煮付け持って行こう。これは思いやりですよね。ところが持って言って料理出した途端に、
料理一品持ち寄りの会なのに、知らん顔で料理持ってこないで料理の文句言いつつしっかり食べる(仕事しない部下)。
私、天ぷら食べたかったのに、なんでこれ持ってきたん!!ってキレられる(キレる友達)。
できな〜い、私の分も作ってぇ〜って全部やってもらおうとする(依存する親)。
この状態ですね。
いずれも、常識では、相手が悪いと感じてしまいます。「そんなやつ最悪やな!ムカつく!!」って。ここで文句言って終わることもできます。正義感の強い方ならなおのこと、正しい自分の位置から降りようとしないまま、相手の非を攻め続けることもできます。
もし、私が全部我慢すればいいのかな?って思われた方は、とにかく一番最初に感じたことを逃さずキャッチすることを練習してください。誰も見てません(笑)だからこそしっかりと。湧いてくる感情に悪いものはありません。全てメッセージなので大切に。
さあ、ここからです。自分で自分のご機嫌をとって、命輝く生き方をしたい皆さんならどうしますか?
ちゃんと伝えてください。
「ここは一品持ち寄りだから、持ってくるんだよ(ルール)。持ってこれないなら連絡してね。」
「食べたいものがあるなら、今度から先に言ってね。言ってくれないとわからないからね」
「毎回全部こちらが用意するのは負担だから、それはつらいからできないな」
ちゃぶ台にその言葉を置いておくんです。見るかどうか、その言葉をわかろうとするか、実際に次回から行動するかどうかは相手次第。こちらの仕事はちゃぶ台に言葉を置いておくところまで。
そこで相手がプイっとそっぽを向いてしまっても、それはあなたの責任ではないのです。「チェ!依存できなくなったやんか〜」がエゴの本音です(本人は気づいてないと思いますが)。
ではなぜ、こんな相手と困ったやりとりをする羽目に陥ってるのか?それは…
あなたが、依存していたからです!!それを気づかせるために。
びっくりしましたか?受け入れられないですよね。
だって私な〜んも悪いことしてないや〜ん!!って思いますでしょう。
私絶対間違ってない。裁判で勝てるわ!って思うでしょう。
だから誰にも依存なんてしてない!迷惑もかけてない!って。
では、どこらへんが依存なのか?
言わなきゃいけない事を相手に伝えるのが怖いから。
失うものがありそうで怖いから。
まさにこの、”失うもの”に依存してたんですね。
部下にルールをはっきり伝えると、嫌われて信用失うんじゃないか?
友達にこんなこと言うと、嫌われて友達なくすんではないか?
親と距離を置くと、親不孝と言われるのではないか?
信用のある、友達の多い、親孝行の私、に依存してるから。
人にではなくて、本心でないものを守ろうとする自分に依存ですね。
命はそんなものよりも、自分の本当の気持ちや、善き事(人間の品性)を大事にしてほしいと望んでます。さて、それをできますか?と言う体験です。
お互い自立した関係を結んでいきたいと相手が思っているならば、その言葉をしっかりと噛み締めて、相手は何か返してきます。今かどうかは別として。そうではなくて、この体験だけのためにあなたの前に現れたのであれば、このハードル乗り越えたらその方とあわなくなるか、同じことされても気にならなくなります。
こうやって、一段ずつ、命の成長段階を踏んで行けるようにちゃんと神様はヒントを出してくださってます。それはそれは頭では納得できませんね。嫌なことですからね。だけどそれをありがたいこととして受け取れるかどうか。目の前の世界を信頼して丸ごと体験しようと心を開こうとするかどうか。
そして、一つ超えるごとに、確実に心の自由さと安心感は増えて行きます。それは目に見えないものですね。今流行りの自分を生きると成功する、というわかりやすい物質的な豊かさとは違います。
正直、とても幸せな場面をブログかなんかの写真にアップしたとしても、全く映えません(笑)。じわ〜っとこみ上げる安心感や幸福感なんてとても静かです。だから見かけに騙されないでね。そう、日常的に高級料理店のランチに行ける自分を目指すのではなく、自分で必死こいて栗の皮剥いて炊いた栗ご飯に心底幸せを感じられるかどうかです(高級料理が悪いわけではないよ)。
その何者でもない(どこにも依存してない)自分が心底安心できる状態に常に整えること、つまり自分を自分でご機嫌にすることが何よりも大事ですね。
相手に文句を言ってる状態の時は、なかなか自分で自分の依存加減を感じることは難しいですが、もしかしたら?と思う方は、ぜひセッションにいらしてください。カラクリがわかると、対処の仕方もわかりますし、何度も実践する中で自分の成長段階と行く先がわかってくると思います。自分の足で立って、自分の人生をクリエイトしたい方はぜひどうぞ。
今日もお読みくださり、ありがとうございました!
田中りん